復活された主の足跡をたどる
復活の
喜びを表わす
新しい独創的な方法
☆
小教区共同体のため
復活された主の足跡をたどる
光 の 道 行
キリスト信者とその共同体の信仰は、しばしば<道>にたとえられます。それは教会の生活に向かって徐々に成長し、常に益々自覚し責任をもって近づいていくことを予想する道です。ですから、一般信徒の信心のかたちがしばしば、たどっていく<歩み>という意味を帯びるのは自然です。多くの異なる方法で、旧約の神の民がその救い主に出会うまでの、長い遍歴を呼び覚ますのです。
こうしたことを背景に、ここに提案する「光の道行」も位置づけられます。これによって、「十字架の道行」を通して、キリストの受難と死を黙想することの優れた教育的価値を損なう心配は、少しもありません。「光の道行」は御墓の悲劇的結末と、復活の知らせによる湧き立つ喜びのほとばしりをつなぐ時として位置づけられます。それは驚きのために卒倒した番兵たち、初めは驚きで、次いで抑えきれない喜びで包まれた婦人たち、弟子たちから、次第に広がっていく知らせです。
正に使徒たちの言葉によって一つの土地から次の土地へと伝わり、幾世代にもわたる人たちの信仰を養い育て、新たに生まれた信者たちの熱心と殉教者たちの勇気に力を与え、全世界の貧しい人々、小さな人々の希望を支えてきた喜び、「キリストは復活された。だからわたしたちも復活するでしょう」という喜びなのです。
なぜわたしたちは、復活の典礼の叫びにもっと大きく共鳴する方法やしるしを作らないのでしょうか。なぜわたしたちは、チェナコロ(高間)の弟子たちのように、「主は本当に復活してペトロにお現れになった」と、目を喜びに輝かせて言い合うために、時々集まらないのでしょうか。それがこの提案の目的なのです。
今日のキリスト信者の共同体は、エルサレムの最初のキリスト信者の共同体のように集まって、光の<歩み>を視覚的に行うことができると思います。「十字架の道行」がピラトの官邸から出発して、ゴルゴタの丘で、あるいはもっとふさわしく、イエスの御墓のそばで頂点を迎えるように、「光の道行」は空の御墓から出発して、その頂点をタボル山上に、あるいはもっとふさわしくチェナコロ(高間)で、聖霊のほとばしりをもって迎えるのです。
「光の道行」は、ローマのサビーノ・パルムビエリ神父によって始められ、指導されている「二千年に向かう復活された主の証人」と呼ばれる、霊性グループの中で生まれました
The Resurrection is the event that changed history. It’s not a theory but a fact. It’s not an invention but a verification. The first incredulous followers, doubtful towards the fact, bent to the evidence. They were accustomed, due to their culture, to accepting after having verified. Luke transmits the word of the Risen Christ who orders to certify the seriousness of his live body with the expression “pselafésate” which literally means “pinch me, touch me not superficially”. Every man, like the Son of Man, no longer has a destiny – death – but a destination: a home, in God’s embrace, that welcomes His Son and all of us, sons in His Son.